私が魂を描くようになったのは、寒川中時代のような気がする。
この土地に赴任してまもなく、不幸なことが起こって村は静まりかえっていた。そんな不幸なことをじっと耐えていかねばならない人間。「どうすることもできないただ運命と諦めるにはあまりにも悲しい、何か久遠の生命はないだろうか、それは何だろう」こう考えたときに、魂こそが久遠の命だと思われた。
そこで出会ったのが寒川神楽である。神楽には秘めた命がある、一体何であるだろう。
親が子に、子が孫に伝えていく、神楽はそれが魂だと考えさせられた。この神楽を見たとき、神楽は魂の舞だと思うようになった。それは魂を描くことになる、魂は永遠の命である。それが私を神楽を描くことにのめりこませた。
神楽は見えるが神は見えない。見えない神を見せるのが神楽である。神になれるのはこの一晩だけではないか、それは魂が帰ってくる日。神と人とが一体となって夜を舞明かし神と語り飲み明かすのもこの日だけである。人が神になり神が人となる、そこに見えるのは魂の舞である。見えるものを同時に引き込んで神にする。そも舞が単純であればあるほどに強く引かれる。私は絵の中にこの魂をどう永遠のものにするか、これをどう表現するか重要なことである。絵とは形を描くものではない。見えないものを形にすることも絵である。神楽が魂の舞であるならば、その魂を描くことは絵でしかできない。いかん科学が進んでも魂を形に表現することは不可能である。
私は20キロの山道をバイクで通勤した。山の下でバイクを降りて徒歩で30分の山道を歩かねばならない。雨の日は雲が山を覆いまさに雲の上を行く心境になる。鬱蒼とした林の中に入ると木が語っている。「木霊」とはこれだろうか。かつてアンリ・ルソーが「木が語る」と言った。それを彼は絵に描いている。彼は、木の魂を描いたのだろう。幽玄の世界では全てのものが生きて動いている。見上げれば、岩石が今にも落ちそうに迫ってくる。男性的な岩、優しそうな女岩、木と木がからみ合いながら生きている。ふと呼び止める。振り返ればそこには何もない。魂の声だろう。静寂の中にこそこれらの声が聞こえるのだろう。その言葉は何百年という永い自然との生活の中から生まれてきたのだろう。
私は子供たちの描く絵で、地上の枝よりも地下にある根の大きさに驚いた。それは枝よりも根が大きくなければ生きていけないことを教えている。見えるものよりも見えないものがいかに大切かを教えられた。木に魂があるとすれば、それは見えないところに魂があるということだ。木を描いてもそれは見たものしか描けない。表面的である。いかんその魂を描くことはいかに難しいかがわかる。
私もここに赴任して、木や岩や風景しか描くものがなかった。或る日、私の家に画家が訪ねてきて、私の描いている岩の絵を見て「これは何だ、岩でなく肉片が散らばっているようだ」と評した。それは単なる表面だけの仕事で終わっている、これは重いだけで絵とは関係ないと言ったのだった。私も、描いて描いて描きまくって、最後の形がこれであったのだ。
「これだけの重さがあっても、どれだけのものを表現したか解らなければ絵ではない。
横山大観の絵を見なさい。あれは紙に描かれた絵ではるが、重さの他に強さと激しさとが描かれている。絵が重量ではないことが解るだろう。この絵の中には見えないものが描かれている、それを見つけなければ絵描きではない。あなたは自分の絵を見て何を感じますか」と言われた。
言われてみればそうである。できるだけ実物に近いものを描こうとするとつまらない重いものだけになるのだ。絵に必要なものはエネルギーだ。大観の絵を見ると激しい動きを感じる。これこそが秘められた力である。
「そうだ、俺は形だけにこだわりすぎた」
これからは形でないものから形を作り出す、それこそが本物を生み出すことになる。
今までの分厚いドンゴロスから抜けて、軽くて薄いもの・・・何があるか、と考えた。
それには紙がいいだろう。すばやく描くには早く乾く和紙がよい、和紙を使ってすばやく動く神楽を描いていくことになった。
それからは県内の山間部にある夜神楽を求めて私の行が始まった。
夜神楽は11月中頃から始まる。一晩中夜の8時より翌朝まで舞われるのである。それを追いながら描き続ける12時間の闘である。或る時は筆が凍り、絵の具が凍ってしまうのであるが、それに耐えていかねば絵が描けない。
形を追い続けているが形ではない、神楽の中から生まれる不思議なエネルギーを描かねばならない。それが神楽の魂のようだ。このエネルギーを定着させることで神楽の何かが表現できるのではないか。